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−5 道徳はコモンローよりも優先される。

まずはコモン・ロー(慣習法)について以下の通り確認したい。

 1.コモン・ローの適用が不道徳である場合は、
   エクイティにより修正が必要である。

 2.コモン・ローは解釈が固定化するため、時代の要請に応えられない。
   国会のような立法府による制定法によって修正が必要である。

 3.上記1および上記2により、コモン・ローは絶対的なものではないことが分かる。

 4.上記1からコモン・ローが不道徳である場合は
   修正が必要であることがわかる。
   また、中川八洋先生は皇室の不易の法(コモン・ロー)として
   「女性天皇の懐妊の禁止」を挙げているが
   現代において「懐妊の禁止」は不道徳であるから
   女性天皇は認められないとしている。
   このことからもコモン・ローよりも道徳が優先されることが分かる。

次に道徳について以下の通り確認したい。

 5.道徳は時間と場所と人を選ばない。
   例えば電車のホームに落ちた人を助けようとして
   電車に衝突して死亡した人に対して、何人もその人を非難することはできない。
   差別的な信条を持つ人であっても、イスラム過激派であっても
   6000年前にピラミッドを建造したクフ王であっても
   その人に敬意を持つことしかできない。

 6.道徳は理性的な振る舞いである。
   道徳は自分よりも他者を優先することである。
   自分よりも他者を優先するためには、自分を他者に置き換えて考えたり、
   時間や場所を変えて考えたり、更には実践可能かどうか
   シミュレーションする必要がある。
   これは理性的な思考である。
   なお、多くの思想家は自分の欲望を精密に理論化している過ぎない。
   このような理論は面白みがある場合もあるが道徳的ではない。

 7.道徳に学問は必要ない。
   上記4の人はコモン・ロー上の権利に基づいて人を助けようとしたのだろうか?
   あるいはコモン・ローに精通した法学者であったか?
   また、上記6のように考える事に専門的な教育や深い教養が必要だろうか?
   道徳こそが万民に課せられた義務である。

最後に皇統問題を道徳的に考えたい。

 8.「懐妊の禁止」が現代において不道徳であるなら、
   上記4から過去においても不道徳である。

   但し、大和朝廷の黎明期においては
   権力の紊乱を防止するという目的と
   「懐妊の禁止」を天秤に掛ければ、
   権力の紊乱防止に重みがあり、更に大きな不道徳を
   抑制する意味合いがあったと考える。
   また、徳川時代においては極端に男性の社会的責任が重く、
   女性蔑視が強固であり「懐妊の禁止」の不道徳は
   省みられなかったのである。

 9.現代において女性天皇の出産により、
   権力が乱れることは考えられない。
   憲法により天皇の権限は制限されているからである。
   また、徳川時代と違って、男性の社会的責任は格段に低く、
   女性蔑視が容認される時代ではない。
   「懐妊の禁止」という不道徳性のみを直視するべきである。

 10.旧宮家の男系男子子孫の皇籍取得という方法は

    「懐妊の禁止」というコモン・ロー上の不道徳を
    延命させるだけである。
    今や「懐妊の禁止」を許容する理由は無く、
    女性天皇の懐妊を公認するべきである。
    これにより、女性天皇の即位を禁止する必要性も無くなる。

 11.同様に皇室に嫁ぐ女性に男子の出産を強要するという
    コモン・ローの不道徳は改善されなければならない。

 12.皇統が危機に瀕している現在、
    上記10および上記11については
    我々の責任で、我々の誠実な道徳心によって
    我々が今すぐに実践しなくてはいけない。

以上

1.なぜ中川八洋先生か?
2.中川八洋先生の皇統関連の著作
3.中川八洋先生の男系論の要約
4.中川八洋先生の男系論への反論
  −1 英国において慣習法(コモン・ロー)は エクイティ(衡平法)により修正される、
  −2 権力者は時代の要請に応える必要がある。
  −3 コモン・ローは不正に対して救済するためのものである。
  −4 道徳はコモン・ローよりも優先される。
  −5 コモン・ローは時代の要請により再解釈される。
  −6 コモン・ローは先例を生み出す機能がある。
  −7 人権思想は完全には無視できない。
  −8 まとめ


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