4−5 コモン・ローは時代の要請により再解釈される。

コモン・ローは時代により以下の通り変遷している。

1.マグナ・カルタは12世紀にジョン王の専横に対して、
  前近代的な封建制度の遵守を約束させたものであり
  近代的な自由の保障を訴えたものではないが、
  17世紀にE・コークはマグナカルタを近代的に再解釈し、
  近代的な自由に基づいた立憲主義の概念を確立した。
  コモン・ローは近代的自由を守るものとされたのである。

2.エクイティ裁判の判例が集積されると、エクイテイ裁判所の判例も
  コモン・ローの一部とされ、19世紀後半にコモンロー裁判所と
  エクイティ裁判所が融合した。

3.国会主権が確立され、近代に入るとコモン・ローに対して
  国会が優位となった。

4.裁判所の判決は絶対視され、判例を覆すためには国会による判例を覆すための
  立法が必要であったが、1966年にはそのような判例絶対主義も改められた。
  (裁判所が裁判所の判例を覆しても良いことになったのである。)


上記のようにコモン・ローは変遷しているが
なぜ皇室「だけ」においてコモン・ローは絶対なのか?

なぜ皇室には自由を求める権利(つまり男系継承と言う悪習を改善する権利)が
無いのか?

なぜ皇祖神たる天照大御神の立ち返り、女系を公認することで
皇統を再解釈してはいけないのか?

今を生きる人間の一過性の理性は信用できないなどという
言い訳は通用しない。

英国においては問題に直面した時代の人々が
理性的に、コモン・ローを再解釈して先例を
作り出しているからである。

現在の皇統の問題は、現在に生きる我々が衆知を集め、
過去の叡智を集め、我々の責任において判断しなければならない。


以上


1.なぜ中川八洋先生か?
2.中川八洋先生の皇統関連の著作
3.中川八洋先生の男系論の要約
4.中川八洋先生の男系論への反論
  −1 英国において慣習法(コモン・ロー)は エクイティ(衡平法)により修正される、
  −2 権力者は時代の要請に応える必要がある。
  −3 コモン・ローは不正に対して救済するためのものである。
  −4 道徳はコモン・ローよりも優先される。
  −5 コモン・ローは時代の要請により再解釈される。
  −6 コモン・ローは先例を生み出す機能がある。
  −7 人権思想は完全には無視できない。
  −8 まとめ



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