4−1 英国において慣習法(コモン・ロー)は
エクイティ(衡平法)による修正される。
12世紀以降の封建時代の英国において
コモン・ロー(慣習法)裁判所では古代ゲルマンの伝統に則って
事案を陪臣審理によって採決した。
コモン・ローとは成文化されていない慣習も「法」の一部であり、
むしろ慣習は成文法に優先すると考えられていた。
またコモン・ロー裁判所の判決は、成文法としての効力を持ち、
後々の裁判は判例から逸脱することが許されなかった。
14世紀頃から陪審員が買収されたり、
信託という先例が見当たらないような新しい商行為に関する裁判には、
裁判官が良心に従ってコモンローに反する判決を実行することが増えた。
このような裁判をエクイティ(衡平法)裁判と言う。
エクイティ裁判は時代を経るに従い増加し、コモンロー裁判所と肩を並べる
エクイティ裁判所が設立されるに至った。
エクイティに対してコモン・ローの重要性を主張したE・コークは
エクイティを無効とすべく主張し、同時代人の国王派のケビン・ベーコンと競ったが
国王の意向によりエクイティはコモン・ローを修正するものとして認められた。
この後、エクイティ裁判所は国王の恣意的な機関と成り下がり
国民の怨嗟の的となってピューリタン革命後は
王直属のエクイティ裁判所(星室裁判所)は廃止されたが
庶民的な救済目的のエクイティ裁判所は存続した。
19世紀後半にコモン・ロー裁判所とエクイティ裁判所は融合されたが、
今日に至るまで「コモン・ロー上の権利」と「エクイティ上の権利」は
別個の概念として定着している。
またエクイティが歴史的に存続し、その意義が定着したため、
エクイティ裁判所における判例がコモンロー裁判所と同様に
判例法として適用されるようになった。
上記から分かることは以下の通りである。
①コモン・ローは絶対ではなく、個別案件によって
裁判官の良心による裁定が必要な場合がある。
②過去からの連続性が無いエクイティが
現在においてはコモン・ローの一部とされていることから、
「法の支配」における「法」には「裁判官の良心」が
含まれることになる。
③中川八洋先生の著作には「エクイティ」という単語が見当たらない。
(上記のコークとベーコンの確執に関する大法官裁判所については
わずかに記載がある。)
中川八洋先生の主張はコモン・ロー絶対主義であり
そのような主張には歴史的根拠がない。
以上
1.なぜ中川八洋先生か?
2.中川八洋先生の皇統関連の著作
3.中川八洋先生の男系論の要約
4.中川八洋先生の男系論への反論
−1 英国において慣習法(コモン・ロー)は
エクイティ(衡平法)による修正される。
−2 権力者は時代の要請に応える必要がある。
−3 コモン・ローは不正に対して救済するためのものである。
−4 道徳はコモン・ローよりも優先される。
−5 コモン・ローは時代の要請により再解釈される。
−6 コモン・ローは先例を生み出す機能がある。
−7 人権思想は完全には無視できない。
−8 まとめ
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